被さり

被さり

執筆者:塩坂 優太(M1)

僕は建築を学び始めて以来、“町歩き”に楽しさと学問の実践を見出しています。町歩きの中では、町の姿から都市変遷を分析してみたり、群としての建築や都市構成の変化に目を向けたりすることで、都市ごとの特色や背景を感じとっています。

今回のコラムでは、第三四半期のテーマである境界空間を僕が町歩きで面白いと感じた道の変遷を題材に取り上げていきます。

まず、道の役割を考えてみましょう。

広辞苑を引くと、道とは目的とする所へ至る経路と記載があります。

過去の日本では交通を集約させる道の機能を活かして往来に監視がつけられたり、道本来の振幅や歪み、折れ曲がりなどの構成が溜まり場をもたらしたりしていました。

単に道といってもその性質から様々な使い方が見出されていると思います。

さらに道本来の構成に着目してみると、その帯状の性質を超えたポテンシャルに気付きます。

道には必ず隣接する敷地があります。現代日本では、道と敷地の境に塀や壁を建ちあげたり、舗装を切り替えたりするのは自由です。そして、その内部の侵入を許容するか否かも自由なのですが、今回は建築学的立場から建物機能に派生した入りやすさへの言及は避け、構成要素からなる機能性だけに着眼点を置きます。前述の通り、敷地に収まる範囲であれば自由な建築が許される一方、一般的に越境は禁止されています。

しかしながら、町をよく観察すると敷地内から道へとはみ出したり、飛び火したりすることで敷地の要素が敷地内で収まっていない光景がみられます。

下の写真は旧中山道落合宿の様子です。

写真1:善照寺の門冠松(筆者撮影)

1891年まで門冠の松として寺と道路の境界をなしていましたが、寺の境内に直行するように新道への道の敷設が行われたことから、現在では道路に越境した樹木になっています。

次の写真は、祇園花見小路から一本入ったところにある路地の様子です。

古地図や周辺の街区からの推測となってしまいますが、中央分離帯とも見てとれる砂利敷きの土地は、時代を経た敷地境界の後退や自転車奥に隠れた井戸の存在によって道路内に周辺の居住地の機能が残り続けたのでしょう。

町の中の家

中程度の精度で自動的に生成された説明

写真2:京都に残る道路上の古井戸(筆者撮影)

このように、道は敷地と隣接することで、偶然にも空間要素を跨がせ、(現代日本においては越境という言葉が正しいかもしれない)両者を接続していくのです。しかし、上記二つの例は時代の重なりに背景をもたせることで成立した道のポテンシャルです。今から綺麗に敷かれていく道に対して、片方からの占有やその表現を作り出すのは至難の技です。

樹木は、自然発生的な立場と、“覆う”という方法で他者の敷地に重力を落とさず、活動域を阻害しないことで成長し続けていると考えます。建築は自然に身を任せて形を作ることができませんが、後述の他者を覆うことがはできそうです。

心地よい日陰や柔軟に変化する活動域を共有する方法を上方向に見出すことができるのではないでしょうか。

コラムのテーマとは若干離れますが、敷地を読み解くことの重要さはその土地のポテンシャルを見つけるところにあると思います。何気ない敷地でも案外その敷地を超えた周辺と繋がる要素が物質として存在しているかもしれません。都市構築に関わっていくであろう私たちは、地面を一新するのではなく、複雑に積み重なる都市と絡まる問題に一つ一つ対応し、新たなレイヤーを描く方法も持ち合わせていることを忘れてはならないと思っています。

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