境界空間とみたてる行為

境界空間とみたてる行為

執筆者:丸山翔悠(B4)

写真1

京都のまちを歩いているとピロティ型のガレージを有する住宅をよく目にする。これは京都に限った話ではないが、限られた敷地面積で十分な居住空間を用意するためには必然なことである。
この本来は車を駐車するだけのスペースを「まちとの接点」のための境界空間と見出そうとする居住者の意思が感じられることがある。多くのガレージでは物置と駐車スペースを兼ねている例をみるが、[写真1]では椅子を持ち出し、居座るための場所に仕立てていた。この椅子が備え付けではないことが重要であり、設計者の意図とは関係なくここが境界空間となっている。
地方によく見られるような敷地に余裕があり玄関までのアプローチが十分に取れている住宅では「庭先で」近隣住民との交流が生まれやすい。これはあくまで自分の領域に招き入れてはいるものの、完全には家の内部にいれていないというちょうどいいバランスを持っている。これと同じことをガレージで行っているように思えた。
ここで挙げたのは、限られた制約の中で用意したものが新たな意味を持った例だった。このことから建築において必ずしも設計者が用意したものだけが、魅力的なな力を発揮するとは限らないことを知る機会となった。

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