より多くによりかかること

より多くによりかかること

執筆者:木村駿平(M2)

スマホひとつで何でも得られる現代では、旅があたかもネットで得た情報との答え合わせのように感じられることも多い。しかし、時には思いがけず素晴らしい場面に出会うこともある。むしろそれが旅の醍醐味と言っていいくらいに。今回は、そのような幸運な出会いをきっかけとして考えたことについて紹介したいと思う。

ドルナッハの街について

スイス・バーゼルから電車とバスを乗り継いで30分ほど南下すると、フランスとの国境近くにあるドルナッハという小さな町へ到着する。そこにある丘の頂上には、「ゲーテアヌム」と呼ばれる建物が一際目立って建っていた。これは、アントロポゾフィーと呼ばれる独自の精神運動を展開した思想家、ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の設計したもので、その思想に関する研究や教育、芸術活動の中心地として機能しており、劇場、講堂、図書館などが備わっている。


何より特徴的だったのは、この町全体にシュタイナーの思想が反映されているかのように見えることだ。ゲーテアヌム風の彫塑的な建築が、住宅からベンチに至るまで広がり、そのどれもが独特な曲線と色彩を帯びている。これら全てがシュタイナーの構想なのか、または彼に影響されたものなのかは定かではないが、ゲーテアヌムを中心として彼の精神哲学が響き渡っているようだった。

「庭」との出会い

ゲーテアヌムでの幻想的な体験をあとにし、丘を降りて散策していたところ、斜面を見上げた先に木々に埋もれる何かが目に入った。それは、これまで見てきた重厚で個性的な建築群とは明らかに異なる、軽やかで浮いたような何か。なんだろうと斜面を登って見渡すと、そこは単に屋根をかけただけの場所だった。ではあるのだが、そんな単純に説明できないほど、あまりに魅力的な雰囲気が漂っていた。これは一体なんなのか。「建築」と呼べるほどの輪郭を持ち合わせているかどうかも怪しい。むしろ「庭」と呼ぶのがふさわしいかもしれない。

「庭」は歩道・レストラン・ミント色の住宅(らしきもの)・隣家に面している。「庭」は誰の持ちものなのかよく分からない。あたりにはコンロやテーブルが散在してるから、レストランのものかもしれない。歩道と連続する階段やペーブメントの設えは公園のようにも見える。はたまた奥にひかえるミント色の住宅へ向かう前庭だろうか。複数の「かもしれない」は推測できるけど、どうも決定的な所有関係を断定することはできずにいた。しかし、そのもどかしさを抱きつつも、このように解釈の可能性が散らばっている状態は、不思議と自由で心地よかった。

そこで「庭」の本質を探る手がかりとして、ピロティとの違いを明確にしようと試みた。ピロティは建築内部だけでなく隣接する周辺環境の影響も受ける、冗長性を持った空間である。しかし、周辺環境がいくら変化してもピロティ自体は残る一方で、上部構造がなくなってしまうとピロティも存在し得ない。また、どちらも持ち主は基本的に同じであり、その立面からはピロティが建築の支配下にあることが示されている。つまりピロティを取り巻く従属関係の中にはヒエラルキーが存在し、中でも上部構造とピロティの結びつきは特別な意味を持っていることがうかがえる。その意味では、ピロティはあくまで建築という大きな主人に属した空間と言えるだろう。

一方で、「庭」はなにか限られた大きなものに属しているというよりは、むしろより多くのものに一様に属しているように感じられた。それは、例えばレストランだけが「庭」を決定的に専有しているわけではなく、ミント色の住居や隣の家、または町全体のそれぞれにとっても所有されているように見える状態を指している。そして周りの多くに属していることで、仮に何かが欠けてしまっても、他の要素がたちまち補完してくれるような状態が生まれているように思えた。特に「一様に」属しているということがピロティとの決定的な違いで、誰かのものではあるはずなのだが誰かはわからない、という匿名の従属関係が絶妙な塩梅のうえで成り立っていたのだった。

依存先を増やしていくこと

この一連の考察から、小児科医の熊谷晋一郎さんが提唱した「自立とは依存先を増やすこと」という言葉を思い出した。熊谷さんいわく、“障害者”というのは「依存先が限られてしまっている人たち」のことを指すという。一般に健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。そこで依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように振る舞うことができる。それが障害者が自立したひとりの人間として社会に参加することにつながる、ということである。

この言葉は、まさに「庭」における曖昧な従属関係の話として読み解くことができる。ここでいう「依存」とは、(インテリア→レストラン)(前庭的な構え→奥の住居)(階段と擁壁→斜面地形)(等間隔の落葉樹→周辺の植栽)(手すりと柱の階調→町の色彩)...といったような関係を指す。重要なのは、「庭」は多数に対して浅く依存し、その度合いは都度の経験の中で変動しうる、ということだ。

例えば、最初に遠くから「庭」を目にしたときには、直前のゲーテアヌムの経験も相まってか、町の独特な色彩との連続が印象として大きかった。一方で、階段を登っているときは斜面に根付いていることを足元から感じたし、登った先にはさっき丘でも見た落葉樹が待ち構えていた。まるで元々そこが本当に丘であったかのように。そして一息ついて見渡すと、奥にはミント色の住居らしき建物が控えていた。玄関に向かうための前庭だろうか。そう思うのも束の間、すみっこに目をやると椅子やキッチンコンロが置かれ、上を見上げると丸いライトが吊られている。もしかしたらレストランのための広場かもしれない──などと想像を巡らせてるうちに、結局この空間は誰のものなのか、どこに属しているのか、なんだかよくわからなくなっていた。多種多様なものに依存しているが、どこかに強く依存しているわけではない。場面によっては強い印象をもって浮かび上がる要素もあるが、次のシーンでは背後にまわっている。

でも、だからといって「庭」は周りに染まりきった存在というわけでもなく、それ自体はどこにも似つかない強かな空間になっていた。それがとても興味深かった。思うに、より多様な環境に依存したことで逆説的に自立した環境につながっていたのである。その結果として、異国からの来訪者を迎え入れるほどの、懐深い存在になっていたのだった。熊谷さんの言う通り、本当の”自立”とはどこにも属さないことでも、どこかに強く属することでもなく、どこにも一様に属することなのかもしれない。

結局「庭」が誰のものだったのか、最後までよく分からずに町をあとにすることになった。しかし正解を得られずとも、このような考察を与えてくれたことが何よりも財産となったのは間違いない。はるばる9,500kmかけて訪れた甲斐があったということである。今後もこのような幸運な出会いを大切にしていきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です