『東京都同情塔』
『東京都同情塔』
執筆者:飯 田 雅(M1)
『東京都同情塔』(九段理江,新潮社)
舞台は2026年の東京。とはいえ、ザハ・ハディド案の新国立競技場が「予定通り」建設され、2020年の東京オリンピックが「予定通り」開催されたパラレルワールドである。主人公の女性建築家は新宿御苑に建設予定の「ホモ・ミゼラビリス」と呼ばれる犯罪者が生活するための塔の設計を請け負う。彼女はこの塔の設計を通して、価値観や建築家の職能に葛藤しつつ、生成AIが普及する現在や未来での言葉の意義について考えていく。
この小説は、第170回芥川賞受賞作品として話題を呼んだ。小説の執筆にあたっては「全体の5%は生成AIを利用して書いた」とされ、実際に作中で展開される主人公と生成AIとの会話は読者に非常に大きな印象を残す。
主題である現在および未来における生成AIと人間との関係性について考えさせられるだけでなく、「犯罪者に同情できるか」という倫理的な価値観や思想の衝突についても考えさせられる。読者や着目するテーマによってさまざまな考えが展開できる点で、非常に批評性のある作品である。
またこの小説は、建築家の間でもしばしば話題となった。建築は人々の生活に結びついているため小説での空間描写は必須であるが、現実に存在する、あるいは存在しえたものを、ここまでリアルに批評性をもって取り扱った作品は珍しい。
建築家の設計に対する溢れんばかりの思考や自問自答の描写も妙に既視感を感じさせる。また、「ホモ・ミゼラビリス」の建設に対する社会の反応というのも、現代の大阪万博に対する社会の反応と重なる部分がある。
建築の専門書とはまた違う小説作品ではあるものの、都市における建築の建ち方や社会と建築との関わり、建築家としての職能など、一人の建築家として必ずどこかで共感あるいは異論を持つ作品である。
国立競技場や大阪万博を経て、社会と建築との距離の遠さを実感させられる。しかし、この小説を通して、小説による純粋な空間描写は読者に建築のちからを想像させ、建築と人々との距離を近づける架け橋になるのではないかという希望を感じた。内容も非常に面白い作品であるが、建築の可能性を大衆に波及させる媒体としての小説の可能性を感じた印象深い作品である。