『名建築と名作椅子の教科書』

『名建築と名作椅子の教科書』

執筆者:北野 湧也(M2)

『名建築と名作椅子の教科書』(アガタ・トロマノフ(著)/中村 雅子(訳),X‐Knowledge)

「椅子がスタイルやテクノロジーの進化を示す重要な指標となったために、世の中に自分の存在を知らしめたいと思った建築家やデザイナーは、少なくとも1脚の優れた椅子をデザインして、その才能を証明しなければならなかった」

ディヤン・スジックデザインミュージアム編『世界の名作椅子ベスト50』2009年(邦訳2012年)

'Because chairs have become such important markers of stylistic and technological shifts, architects and designers who want to be considered important have to have designed at least one successful example to demonstrate their credentials.'

Deyan Sudjic, Fifty Chairs that Changed the World, 2009

導入のこの一文でこれまでの疑問が腑に落ちた気がした。

本書は建築家の手がけた名作と呼ばれる建築と椅子を同時に比較、そこに見いだされる共通点や背景を説いたものである。

この書籍を読み始める以前から、私は家具と建築の関係について考えていた。

建築家の職能は家を建てることだと思い込んでいた建築を学ぶ以前の私は、後に建築の職能がいかに広大であるかを知るが、実はその入り口が家具であったと思う。

ミース自身が手掛けた家具が整然と並ぶファンズワース邸を学部一年生の私は目撃した。建築家が家具をデザインするという驚きと少しの違和感があったのは、自分の知る限りの家や家具は確かに別々のルートを辿って設えられていたし、何ならその出どころになど目も向けていなかったからである。各々にカテゴライズされていた両者の引き合わせは当時の私には困難であった。

しかし建築を経験していくにつれ、後に建築家が創造しているのは単なるモノではなく空間や人の居場所、概念としての思想や信念、…といった非常に抽象的で視覚的には捉えようのないものだと気づくと、それまでの家や家具、建築家の職能に対するフィジカルで直訳的な認識はほぐされていった。

やがて建築家の表現の場は家並びに建物だけではないということに気づく。建築家でなくとも、そして莫大な資金や高度な技術、特別な環境が無くても自身の作家性を表現できるヒューマンなカンバスのようなツールがあればよい。そしてそれが家具なのだろうと。

建築と家具の関係は表裏一体的であり、マトリョーシカのような入れ子構造で人の居場所を生んでいるように思える。だから家具は建築よりももっと人に近い、言わば小さな建築であり、故に建築家たちはアウトプットの場に家具を位置付けたのだと思う。

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